フランコ君の目安箱

主に学校教育について、江戸時代の”目安箱”のように、フランコ君なりの意見や主張を投稿します。皆さんの考える際の”目安”にもなればと思っています。

最近ハマっているドラマの話:『青のスクールポリス』

どうも、フランコ君です。

今回は、最近私が見ているドラマのお話をしたいと思います。

そのドラマは、藤原竜也さんが主演を務める『青のスクールポリスです。

私は普段ドラマはほとんど見ないのですが、"学校"を舞台としたドラマが始まるということで、とりあえず1話目を見てみようと思ったのがきっかけで、久しぶりに録画までして見ている作品です。

現在3話まで放送されていますが、視聴率もなかなか良いようですし、フランコ君なりの感想や解釈を書いておこうと思います。

 

あらすじ

文部科学省が新たな学校制度として、"問題の多い学校に対して現役の警察官(スクールポリス)を配属する"という制度を作り、試験的な導入を始めます。その実施校として手を挙げた、赤嶺中学校という公立の中学校がこのドラマの舞台となります。

そのスクールポリスに志願し、赤嶺中学校に配属されたのが捜査1課の警察官・嶋田隆平藤原竜也さん)という人物で、彼は赤嶺中学校の生徒やその周りの人たちの犯罪行為を逃さず、鋭い洞察力を活かして片っ端から容赦なく逮捕していきます。

すでに放送された3話までで、教師への暴力行為、器物破損、SNSを使った名誉毀損、備品の盗難、ドラッグ事件などの出来事があり、これらもおそらく近年学校で実際にあった犯罪や事件をもとにして考えられているでしょう。

 

個人的な感想

学校が舞台のドラマと言えば、不良生徒を更生させる熱血教師や、部活に汗を流す生徒たちの絆の物語など、麗しい、美しい人間ドラマが描かれるものが多かったように私は思います。そのため、『青のスクールポリス』は、これまであまり見たことのない切り口で描かれていて新しいなと感じます。

嶋田は冷淡で男らしい性格によって誤解を招き続けますが、問題解決という点で常に本質を突いており、日本の教育に第三者として疑問を投げかけるような深い言葉なんかも発するわけです。誰もがイメージしやすい"教師と生徒"という関係性ではないものの、教師や生徒と常に接する"専門家"という立場から学校のあり方に切り込んでいく、チャレンジングなドラマになっていると感じます。

このドラマのなかでは、教師たちの口から度々「生徒のため」という言葉が発せられます。おそらく実際の学校現場の先生方のなかにも、常に「生徒のため」という心で仕事をされている方も大勢いると想像します。

私は、スクールポリスの嶋田の姿を見て、あるいはドラマに登場する先生方の姿を見て、真の意味での「生徒のため」とは何か?と考えさせられています。「生徒のため」に日々奔走する教師が、どれほど「生徒のため」になる結果を生み出せているのか、日本の学校教育における極めて重要な問題点を指摘しているように思えてなりません。

とは言ってもドラマなので、もちろん脚色や誇張がたくさんされていて、"まさか…"とか"そんなことあるわけない…"と思うシーンも多々あります。しかしながら、案外リアルに学校の現状や課題、限界などが描かれているようにも感じています。

このドラマでは、嶋田がたとえ教室のなかであっても、他の生徒がいる目の前で、犯罪行為をとった生徒を羽交締めにして手錠をかけます。教師ではありえない(そもそもする権利もない)この逮捕のシーンや、暴言を浴びせるシーンなどの衝撃がかなり強いため、そこに気を取られてしまいますが、注目すべきはそういった細かいストーリーではなく、このドラマ全体を通して表される世界観やコンセプトにこそあると私は感じています。

 

スクールポリスが問う"学校"のあり方

このドラマを、教師になって10年以上の私の知人も見ているようで、彼に意見や感想を聞いてみたところ、"これが実現することはありえない、こんなことができたら教師は楽になる"というようなことを言っていました。

教師ならばもう少し深く考えてこのドラマを見ているだろうと思っていた私は、知人の言葉に少しばかり落胆してしまいましたが、それは良いとして、私の意見はむしろその真逆とも言えます。スクールポリスは実現可能、あるいは実現してもよいだろう、と。

スクールポリスという形ではなくても、学校をこれまでのように閉鎖的に運営していくことには明らかに限界がきており、地域社会や保護者、企業、そして何よりも"専門家"を学校と結びつけ、学校に取り込みながら、生徒の教育にあたっていかなくてはならない時代なのではないか、と感じているからです。それこそが「生徒のため」になる教育体制だろうと思います。

例えば、最近では、部活の時間を担当する部活動指導員や、心理学の知識をもった学校心理士スクールカウンセラーなどといった人材が外部から配属される学校も増えてきています。ただ、彼らはあくまで非常勤で、このドラマで描かれるスクールポリスほど、学校内で明確な役割や地位が与えられているケースはありません。学校や地域によっては、そういう専門家が除け者にされたり、素直に受け入れられないケースもあるようで、そういった学校ほど抱える問題が一向に好転していない、とも言われています。

他にも、これからの時代においては、ICTに精通した理系の専門家なんかも必要とされるはずです。このような意味において、犯罪行為が蔓延っている学校であった場合、警察官が配属されて然るべきというのが私の考えです。

昨今、教師の"ブラック化"が社会問題として広く認知されています。教師の役割や仕事が複雑化・多様化している理由は、"学校"に求められる役割や仕事が複雑化・多様化しているからです。そうであるならば、教師だけで学校を賄うことが難しくなるのは容易に想像でき、ますます学校や教師は疲弊します。

昨年、コロナウイルスの影響で学校が休校になったことも大きな要因となり、学校とは何か?学校はどうあるべきか?を再考する流れが社会全体に広がりつつあると感じます。そのなかにおいて、この『青のスクールポリス』が放送されていることは、学校の現状への問題提起の意味があるのかなと思ったりしています。

いよいよ本格的に、こんにちの日本の学校教育のしくみを見直す時が来たのかもしれません。キーワードはもちろん「構成主義」ですね。

(注:構成主義については、過去の私の記事を参照ください。)

 

まとめ的な話

今回は、私が今ハマっているドラマ『青のスクールポリス』の自分なりの解釈や、そこから知ることができるこんにちの学校教育の課題などについて書いてみました。あくまで学校教育に関心をもっている私の一意見、一考察ですが。

上述したように、昨今、学校に求められる役割は増加する一方で、その増加分は教師の努力(質の向上)によって補っているのが現状だと言えるでしょう。例えば、教育心理学やカウンセリングの専門知識を自ら学ぶ教師はたくさんおられます。それはもちろん重要なことであり、教育において教師側の不断の努力は必要不可欠です。だからといって、いくら学んでも教師はあくまで"教育のプロ"。何でも任せてよい、何でもやってくれる、全知全能な存在と思うわけにはいきません。この状況を変えるには、学校に求める役割を減らすか、あるいは学校に求められている役割を果たせる人材(専門家)を用意するか、このどちらかなのではないでしょうか。

 

いわゆる学園モノや青春モノのドラマとは異なる視点でこのドラマを見ると、とても示唆に富んだ作品になるのではないかと感じています。

 

今回も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

 

それでは。