大阪都構想「否決」―その敗因とは
どうも、フランコ君です。
前回は「大阪都構想」について、その住民投票の直前というタイミングではありましたが、私なりに疑問に思っていたこと、調べていて感じていたことを書かせていただきました。
11/1(日)にその大阪都構想の可否を問う住民投票が行われ、皆さんもご存知のとおり、反対が賛成をわずかに上回り、「否決」されました。約5年前、橋下徹氏が挑んで以来2回目の都構想住民投票でしたが、前回とほぼ同じ結果に終わりました。
これによって、ひとまず"大阪市"は存続することとなりました。前回の記事を読んでいただいた方は薄々おわかりかと思いますが、個人的には"反対"の立場だったので、この結果には安堵しています。
今回の記事では、前回に引き続き大阪都構想住民投票をテーマにいたします。このたびの住民投票に関しては、大阪維新の会からすると「ミスが重なっての敗北」であり、敗因となったのは、選挙戦略上の読み違いや認識の甘さにあると言えるのではないでしょうか。
そして、今回のこの敗戦をうけて、松井市長は政界引退を決め、吉村府知事も「僕としての3度目の挑戦はない」と明言。ここ10年間で築き上げてきた大阪における「維新一強」の構図に少しは変化が生じるはずです。大阪(日本)維新の会は空中分解してしまう可能性すらあるのではないかと正直感じています。
そこで、そういった観点から、勝手に住民投票の振り返りをしてみようと思っています。私は、今回の最大の敗因に直接関わっているのが「公明党」だと考えています。なぜなら、今回の都構想案とその住民投票で、前回(5年前)と比べて最大にして唯一異なっていた点はというと、「公明党が賛成に回ったこと」だからです。なので、最大の敗因ないし誤算は、「維新が公明党への認識を誤っていた」ことにあると感じています。
勝負手に潜んだ2つの誤算
1年半ほど前、いわゆる”大阪ダブル選”において、都構想推進を政策に掲げた維新の”圧勝”という結果をうけて、公明党は”大阪の人たちの民意が示された”と考え、大阪都構想の議論に参加すること、つまりは「都構想賛成派」に鞍替えしました。
しかし、公明党が賛成に立場を変えたことには、それ以上に大きな理由があったと言われています。その理由というのが、「都構想に賛成しなければ、次の国政選挙で公明党の選挙区に維新の対立候補を立てる」という維新側から公明側への要求があったということです。”いくら公明党の爆心地である大阪でも、人気のある維新には勝てないかもしれない”、そう考え、維新と結託するという選択をしたと思われます。(安倍前総理が衆議院解散の可能性を含む発言を繰り返していたことも後押しして。)
このような経緯で、維新はこれまで反対派の中心にいた公明党を賛成派に引き込むことに成功したのです。ここまでは維新の戦略どおり。では、何が誤算だったのか。私は2つあると思っています。1つは「公明党支持者からの猛反発」、2つ目は「4条件による弊害」です。
誤算①:公明党支持者からの猛反発
今回の住民投票においては、公明党支持者のうち半数以上が”反対”に票を投じたというデータが公表されています。これに対して、「公明党が支持者をまとめきれなかった」と分析している方も多くいます。しかし、私の考えは違います。「公明党の支持者(≒創価学会員)は、意外と自主的・主体的に選挙活動に臨んでいる」と思うのです。つまり、普段から創価学会として組織的な支持拡大運動をしているだけであって、公明党が創価学会に支持させている関係性ではないのです。創価学会員は、信仰の延長線上で活動をしているわけですから、当然のことですね。
そもそも維新の会がなぜ公明党にすり寄ったのか、それは、公明党がもつこの「組織票」が欲しかったからです。「公明党が主張すれば創価学会はついてくる」というイメージがあったのでしょう。それが意外にも、公明党支持者に反対が根強かった。その原因は明らかで、維新の常習的な選挙戦略=「仮想敵を作る」というものにあります。彼らの仮想敵の一つがこれまで”公明党”でした。「公明党は敵だ」「創価学会を潰す」のような攻撃的な発言は、今まで主に橋下氏や吉村府知事の口から幾度となく浴びせられていました。1年半前の選挙においても例に漏れずそうでした。創価学会はそれを忘れるはずがありません。どちらかと言えば、「よく半数近い人が”賛成”に入れたな」というのが正しい解釈ではないでしょうか。
ただし、この住民投票においては、自粛の影響もあり創価学会はほとんど動いていません。そのため、”反対”に投じた学会員だけでなく、その知り合いなんかの票も失ったことになり、本来の公明党であれば拾い上げていた人たち(”賛成”が見込まれた票)がかなり”反対”に流れたことは間違いないでしょう。
黒幕は菅総理?
公明党は都構想賛成派としてこの住民投票に臨んだわけですが、テレビや演説を見ても、公明議員たちはどこか上の空、本気で賛成しているようには思えませんでした。そして、最終盤になって、公明党は突然東京から山口代表が来阪し、吉村・松井両氏の応援演説に立ったのです。おそらく、維新側が公明側に何かしらの圧力をかけたのでしょう。”なっちゃん”の愛称で親しまれる山口代表の来阪が、半数近い”賛成”の票につながるものとなったのは間違いありません。
それでは、なぜ山口代表の来阪が実現したのか、それには、維新の松井市長と菅総理大臣が仲良しだということが関係していると考えます。菅総理が松井市長と親交があり、国政における日本維新の会(という自民党の補完的勢力)との太いパイプをもつことは有名な話です。以前から大阪都構想にもおおむね肯定的な立場を示していました。自民党と公明党は国政で連立を組んでいるため、ただでさえ維新寄りの菅総理を不快な気持ちにさせてはいけません。我々は有言実行、大阪都構想にしっかり賛成をしている、ということを菅総理にアピールする目的で山口代表が大阪に向かったと言えそうです。
また、私の印象としては、当初大阪はコロナ対応に積極的に取り組んでいたものの、8月の吉村府知事による”ポピドンヨードの効果”の会見で非難されたころから、大々的な露出がめっきり減ったように思います。そして、9月に入って菅氏が正式に内閣総理大臣に就任しました。このあたりから、正直、吉村府知事や松井市長の関心は”都構想の住民投票”に移っていたことが容易に見て取れました。少しコロナ騒動が落ち着きはじめると、驚くほどスムーズに、住民投票の流れになっていました。このようなことからも、やはり菅総理が松井市長をバックアップしていたのかもしれないなと勘ぐってしまうのです。
誤算②:4条件による弊害
続いて2つ目が、公明党が賛成に回るにあたって維新側に提示した「4条件」が都構想を可決から遠ざけたのだろう、という点です。
条件の内容は調べていただけるとわかるので割愛しますが、私がとくに反対に加担することになったと思っているのは、「コスト削減」を求めるものです。無駄なコストとされたものの代表例が”新庁舎を建設する費用”です。これによって、現行の区役所の活用、すなわち「役所の窓口業務の維持」という4条件の内のもう1つの条件も満たすことになるので、公明側はかなり推進したようです。そして、コスト削減は(都構想の費用を捻出するために)これまで維新がかなり頑張ってやってきたことでもあるので、これは今回の都構想案の目玉でもあったと思われます。
それでは、なぜ目玉であったコスト削減が裏目に出たのか、それは、都構想が「スケールダウン」してしまったからではないでしょうか。
大阪都構想とは、一言で表すと「大都市制度改革」です。前回の橋下氏による都構想は、大阪の政治の仕組みが大きく変わる、文字通り”改革”でした。しかし、今回については、その橋下氏の提案と比べて、”コストを大幅に削りながら、住民にとっては今までと変わりなく生活できるように維持し、二重行政を解消する”という代物になってしまったのです。「これだったら、わざわざ”大阪市”を廃止しなくてもええやん」「そんなに変わらへんやん」と、まさに自民党のキャッチコピーのように「知れば知るほど」、大阪市民にはスケールダウンに感じられたのではないでしょうか。
つまり、大阪都構想の一番大事な部分である「”改革”感」みたいなものが薄れてしまったことによって、かえって反対派に批判させやすくしてしまったと感じています。これは結果的にそうなったのでしょうが、もし公明党がこうなることを見越して、「一度は賛成に回るけれど住民投票で否決させてやろう」という魂胆をもっていたのであれば大したもんですね。
まとめ的な話
今回も「大阪都構想住民投票」についての投稿でした。またも予定していたより長い長い記事になってしまいましたが、最後まで読んでくださりありがとうございました。
かなり主観的で偏った分析ですが、個人的にはけっこう的を射てるのではないかなとは思っています。(なので書きました。)
冒頭に書いたように、このたびの住民投票の結果は、前回のものと得票率はほぼ変わらなかったと見受けられます。しかし、前回との違いである公明党に目を移すとすれば、維新が狙ったかれらのもつ組織票を半分も取れなかったとしても、本来はそれで十分だったはずなのです。つまり、前回は公明は反対派だったため、5年前よりも得票率は上がっていないとおかしな話だからです。なので、こうやって分析してみたいなと思ったのです。やはり「前回は”賛成”したけれど、今回は”反対”に入れた」という大阪市民が、維新の想定以上に出てしまったのでしょう。その原因が先にあげた2点である、という記事でした。
今回の記事は「公明党」にスポットを当てて考察してみましたが、もちろん他にも原因はあったでしょう。例えば、反対派の先頭に立った「自民党」は、もともと"府議団は賛成、市議団は反対"の立場をとっていました。先ほど書いたことと同様に、国政の自民党と公明・維新は良好な関係性であり、そこへの配慮のためです。しかし、選挙戦終盤になって、菅総理に了承をとり、府議団・市議団ともに明確に"反対"を訴える姿勢に変わったのです。国政自民に対する忖度を捨て、大阪自民が足並みを揃えて反対したことは勇気ある行動だったと言えるでしょう。
「大阪の成長」は有権者である大阪市民の総意であるはずです。松井市長が言われたように、それぞれが大阪が良くなることを願って一票を投じた経験は未来につながるでしょう。いや、これを未来につなげるために、政治家の皆さんはこれから奔走してもらいたいと思います。
それでは。