フランコ君の目安箱

主に学校教育について、江戸時代の”目安箱”のように、フランコ君なりの意見や主張を投稿します。皆さんの考える際の”目安”にもなればと思っています。

最近ハマっているドラマの話:『青のスクールポリス』

どうも、フランコ君です。

今回は、最近私が見ているドラマのお話をしたいと思います。

そのドラマは、藤原竜也さんが主演を務める『青のスクールポリスです。

私は普段ドラマはほとんど見ないのですが、"学校"を舞台としたドラマが始まるということで、とりあえず1話目を見てみようと思ったのがきっかけで、久しぶりに録画までして見ている作品です。

現在3話まで放送されていますが、視聴率もなかなか良いようですし、フランコ君なりの感想や解釈を書いておこうと思います。

 

あらすじ

文部科学省が新たな学校制度として、"問題の多い学校に対して現役の警察官(スクールポリス)を配属する"という制度を作り、試験的な導入を始めます。その実施校として手を挙げた、赤嶺中学校という公立の中学校がこのドラマの舞台となります。

そのスクールポリスに志願し、赤嶺中学校に配属されたのが捜査1課の警察官・嶋田隆平藤原竜也さん)という人物で、彼は赤嶺中学校の生徒やその周りの人たちの犯罪行為を逃さず、鋭い洞察力を活かして片っ端から容赦なく逮捕していきます。

すでに放送された3話までで、教師への暴力行為、器物破損、SNSを使った名誉毀損、備品の盗難、ドラッグ事件などの出来事があり、これらもおそらく近年学校で実際にあった犯罪や事件をもとにして考えられているでしょう。

 

個人的な感想

学校が舞台のドラマと言えば、不良生徒を更生させる熱血教師や、部活に汗を流す生徒たちの絆の物語など、麗しい、美しい人間ドラマが描かれるものが多かったように私は思います。そのため、『青のスクールポリス』は、これまであまり見たことのない切り口で描かれていて新しいなと感じます。

嶋田は冷淡で男らしい性格によって誤解を招き続けますが、問題解決という点で常に本質を突いており、日本の教育に第三者として疑問を投げかけるような深い言葉なんかも発するわけです。誰もがイメージしやすい"教師と生徒"という関係性ではないものの、教師や生徒と常に接する"専門家"という立場から学校のあり方に切り込んでいく、チャレンジングなドラマになっていると感じます。

このドラマのなかでは、教師たちの口から度々「生徒のため」という言葉が発せられます。おそらく実際の学校現場の先生方のなかにも、常に「生徒のため」という心で仕事をされている方も大勢いると想像します。

私は、スクールポリスの嶋田の姿を見て、あるいはドラマに登場する先生方の姿を見て、真の意味での「生徒のため」とは何か?と考えさせられています。「生徒のため」に日々奔走する教師が、どれほど「生徒のため」になる結果を生み出せているのか、日本の学校教育における極めて重要な問題点を指摘しているように思えてなりません。

とは言ってもドラマなので、もちろん脚色や誇張がたくさんされていて、"まさか…"とか"そんなことあるわけない…"と思うシーンも多々あります。しかしながら、案外リアルに学校の現状や課題、限界などが描かれているようにも感じています。

このドラマでは、嶋田がたとえ教室のなかであっても、他の生徒がいる目の前で、犯罪行為をとった生徒を羽交締めにして手錠をかけます。教師ではありえない(そもそもする権利もない)この逮捕のシーンや、暴言を浴びせるシーンなどの衝撃がかなり強いため、そこに気を取られてしまいますが、注目すべきはそういった細かいストーリーではなく、このドラマ全体を通して表される世界観やコンセプトにこそあると私は感じています。

 

スクールポリスが問う"学校"のあり方

このドラマを、教師になって10年以上の私の知人も見ているようで、彼に意見や感想を聞いてみたところ、"これが実現することはありえない、こんなことができたら教師は楽になる"というようなことを言っていました。

教師ならばもう少し深く考えてこのドラマを見ているだろうと思っていた私は、知人の言葉に少しばかり落胆してしまいましたが、それは良いとして、私の意見はむしろその真逆とも言えます。スクールポリスは実現可能、あるいは実現してもよいだろう、と。

スクールポリスという形ではなくても、学校をこれまでのように閉鎖的に運営していくことには明らかに限界がきており、地域社会や保護者、企業、そして何よりも"専門家"を学校と結びつけ、学校に取り込みながら、生徒の教育にあたっていかなくてはならない時代なのではないか、と感じているからです。それこそが「生徒のため」になる教育体制だろうと思います。

例えば、最近では、部活の時間を担当する部活動指導員や、心理学の知識をもった学校心理士スクールカウンセラーなどといった人材が外部から配属される学校も増えてきています。ただ、彼らはあくまで非常勤で、このドラマで描かれるスクールポリスほど、学校内で明確な役割や地位が与えられているケースはありません。学校や地域によっては、そういう専門家が除け者にされたり、素直に受け入れられないケースもあるようで、そういった学校ほど抱える問題が一向に好転していない、とも言われています。

他にも、これからの時代においては、ICTに精通した理系の専門家なんかも必要とされるはずです。このような意味において、犯罪行為が蔓延っている学校であった場合、警察官が配属されて然るべきというのが私の考えです。

昨今、教師の"ブラック化"が社会問題として広く認知されています。教師の役割や仕事が複雑化・多様化している理由は、"学校"に求められる役割や仕事が複雑化・多様化しているからです。そうであるならば、教師だけで学校を賄うことが難しくなるのは容易に想像でき、ますます学校や教師は疲弊します。

昨年、コロナウイルスの影響で学校が休校になったことも大きな要因となり、学校とは何か?学校はどうあるべきか?を再考する流れが社会全体に広がりつつあると感じます。そのなかにおいて、この『青のスクールポリス』が放送されていることは、学校の現状への問題提起の意味があるのかなと思ったりしています。

いよいよ本格的に、こんにちの日本の学校教育のしくみを見直す時が来たのかもしれません。キーワードはもちろん「構成主義」ですね。

(注:構成主義については、過去の私の記事を参照ください。)

 

まとめ的な話

今回は、私が今ハマっているドラマ『青のスクールポリス』の自分なりの解釈や、そこから知ることができるこんにちの学校教育の課題などについて書いてみました。あくまで学校教育に関心をもっている私の一意見、一考察ですが。

上述したように、昨今、学校に求められる役割は増加する一方で、その増加分は教師の努力(質の向上)によって補っているのが現状だと言えるでしょう。例えば、教育心理学やカウンセリングの専門知識を自ら学ぶ教師はたくさんおられます。それはもちろん重要なことであり、教育において教師側の不断の努力は必要不可欠です。だからといって、いくら学んでも教師はあくまで"教育のプロ"。何でも任せてよい、何でもやってくれる、全知全能な存在と思うわけにはいきません。この状況を変えるには、学校に求める役割を減らすか、あるいは学校に求められている役割を果たせる人材(専門家)を用意するか、このどちらかなのではないでしょうか。

 

いわゆる学園モノや青春モノのドラマとは異なる視点でこのドラマを見ると、とても示唆に富んだ作品になるのではないかと感じています。

 

今回も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

 

それでは。

「あれは漫才なのか」論争について考える

どうも、フランコ君です。

 

早いもので、私たち人類がコロナウイルスという未曾有の感染症に直面した2020年も、残すところあと数日となりした。明日の生活もままならない日々を送ってこられた方もたくさんいらっしゃることを思うと、私はつくづく恵まれているなと、今年を振り返ると感じずにはいられません。

 

それはさておき、今回は、タイトルのとおり、「M-1グランプリ」の話題とします。

何を隠そう私もお笑いファン、漫才ファン、そしてM-1ファンの1人でして、年の瀬の風物詩と言ってもよいM-1グランプリの開催を毎年心待ちにしているうちの1人です。

ちなみに、以下、お笑いコンビ、そして審査員の方々など、全て敬称略で書かせていただきますので、ご理解ください。

 

2020年12月20日M-1グランプリ2020を制したのは、ご存知のように「マヂカルラブリー」でした。本当におめでとうございました。しかし、彼らの披露した「漫才」が、SNSを中心とした一部で「漫才ではない」と評されていることの方が話題になってしまっているような気がして、M-1ファンとしては正直、悲しい気持ちが強いですね。多くの芸人たちがこの話題に反応し、持論を展開しています。

そこで今回は、この「あれは漫才なのか」論争に対して、いち漫才ファンであるフランコ君の考えを、偉そうにも書かせてもらおうと思うのです。

ちなみに、私は今年のM-1に関しては、お昼に開催しれた敗者復活戦を全組見て、採点メモもリアルタイムで付けさせてもらい、そして決勝戦も、優勝が決まる瞬間までテレビの前で見届けていました。その日に登場した全組の漫才の感想をここで書きたいくらいの心境ではありますが、それは割愛して、このテーマに絞って思いつくままに書いてみます。

 

漫才であるVS漫才ではない

 

そもそも、「あれは漫才なのか」論争の発端ないし対象となっているのは、マヂカルラブリーが優勝を決めた2本目のネタでしょう。ボケの野田が"電車の吊り革を持ちたくない"と言って、何がどうなっても吊り革に捕まろうとしない、というネタだったと思われます。肝心の野田はネタ中ほとんど"言葉"を発することなく、ただただ滑稽な"動き"を繰り返す、これで会場の爆笑をかっさらい優勝してしまったために、批判の的となってしまったのです。

過去には、サンドウィッチマン霜降り明星が大会を制した後にも、「コントじゃなくて"漫才"をやれ」と揶揄されたことがあったので、定期的にこの「漫才なのか」論争は繰り広げられるような印象であり、あまり気にすることでもないとは思いますが。

 

まずはこのテーマについて考えるうえで、私個人は"どっち派"なのかというと、もちろん「漫才である」派です。ただ、「漫才ではない」派の人たちの気持ちもわからなくもありません。なぜなら、"漫才"とは何か?が未だよくわからないからです。

この"漫才"の定義のようなものについては、おそらくプロの漫才師たちにも、あるいはM-1の立ち上げに関わった人たちなんかにとっても、あまりよくわからないものなのではないでしょうか。ワイドナショーを見ていても、審査員も務めた松本人志が「漫才の定義はない」といった趣旨の発言をしたうえで、今大会を「野球の大一番の試合で"消える魔球"を投げたようなもの」と表現していたのは、まさに言い得て妙だなと思いました。

「漫才である」派と「漫才ではない」派の言い争いにおいては、この"漫才"の定義という前提条件がそもそも異なっていることが多いように見受けられるのです。それが交わるわけもなく、結果的にお互いの"漫才観"をぶつけ合うことに終始します。

それが悪いことだとは全く思いません。そのように、ネタを見た人が、あるいはお笑いファンが、何となくでも自分のなかに漫才観を確立させ、それをもとに議論をすることができる、これこそがM-1グランプリを国民的な賞レースへと押し上げた原動力だろうと考えるからです。

したがって、"漫才"と一口に言っても、"漫才"とは何か?と考えたときの答えにあたるものは結局1つではなく、1つであるはずもなく、人それぞれの解釈に委ねられるものである、と言えるでしょう。なので、結果的にはそれぞれが自分の「好み」を主張し合っているに過ぎないもので、それを「漫才とは〜」なんて高尚な話のように仕立てているだけだろう、とすら思ってしまいますね。

ただ、その「好み」がお笑いの本質に厳然とあるとは思うので、いがみ合いではなく、平和的な会話として成立されるのであれば、それはむしろとてもよいことなのかもしれません。

 

漫才とは何か?をもう少し

 

フランコ君にも、自分なりの"漫才"の定義はありますが、漫才を見れば見るほど、それはよくわからないものに思えてきます。最近では数えきれないほどの芸人がこの世に存在して、いろいろなパターンやコンセプトの芸が披露されるので、もはやどれが"漫才"でどれが"コント"なのか、分類することも難しく、どんどんとニュートラルで抽象的な定義になってきているような気がします。ある意味で、漫才というものが発展・拡大してきているのでしょう。

だから、強いて言うならば、やはり「センターマイク1本」というのが最終的な"漫才"の定義になるのではないかと考えています。広い舞台の中央にマイクが1本だけ置かれ、あとは自由に使ってよい、これが"漫才"なのではないでしょうか。

 

優勝はマヂカルラブリー

 

上に書いたように、私は、当日の敗者復活戦に関してはリアルタイムで採点までして見ていました。その採点をした際、どうせならちゃんとやりたいと張り切って、あたかも自分が審査員となって舞台横にいるかのように、できる限り先入観を排して厳正に採点するようにしてみました。(めちゃくちゃ楽しかったです。)

そんな私なので、最終決戦の3組の漫才を見終わったときにも、もし自分が決勝戦の審査員をしていてその場にいたらどうするだろうか、と考えていました。私の心のなかでは、投票するコンビはいとも簡単に決まりました。

正直、どれだけおもしろかったか、笑ったか、という観点では、他の2組に投票したと思います。しかし、一番の"漫才"という意味において、私のなかでのチャンピオンは他でもない「マヂカルラブリーでした。(ちなみに、私の家族は皆「見取り図」でした。)

その理由は、もちろんその日の彼らの出来、会場のウケ具合を加味してのことですが、それ以上に、私にとっては(特に2本目のネタは)逆に"漫才"だからこそできる芸なのではないか、と感じられたからでした。つまり、例えば"コント"で同じことをやったとして、それが果たして日本一おもしろいと評価されるべきものになりうるのか、芸として成立するのか、と考えたとき、答えノーだと思うのです。あのネタを、"漫才"という形式でセンターマイクを無視してやってしまうからこそ野田らしさが生き、だれよりもおもしろいのではないかと。

私には、たしかに野田が乗った電車は走っているように見えたし、お金が地面にばら撒かれたように見えたし、野田の顔におしっこがかかっていたように見えました。

舞台にはセンターマイク1本しかないにもかかわらず、その情景がありありと目に浮かぶ、これこそが"設定のある漫才"においてもっとも重要で、価値あることなのではないかと私は思っています。一般的にはこれを演技力と言うのかも知れませんが、その点において、私はマヂカルラブリーに圧倒されてしまいました。

「センターマイク1本」という制約のもとであれをやるからこそ芸としておもしろいものになり、そうであるならば、だれが何と言おうと"漫才"なのだと思うわけです。あの日、ミュージカルでもない、コントでもない、"漫才"という形式をもっともプラスに昇華して笑いを取ったコンビはマヂカルラブリーだと、私は断言できますね。

 

ちなみに、この私のマヂカルラブリー評は、先ほど書いた「好み」のお話ではありません。はっきり申し上げて、彼らは私の好みとは対極にいるという印象です。一方で、見取り図の2人に関しては、まだ彼らが大阪でもあまり知られていなかったときから大好きなコンビの一つでしたが、そんな自分が審査員だったとしてもあの日はマヂカルラブリーだったかなといったお話です。

 

審査員の票を読み解く

 

それでは最後に、最終決戦の結果について少し考えてみます。松本人志が「最後まで3択だった」と述べたように、やはりだれが優勝しても全くおかしくない展開だったと感じますね。

オール巨人と塙は「見取り図」に、上沼と松本人志は「おいでやすこが」に、そして中川家礼二、富澤、立川志らくが「マヂカルラブリー」にそれぞれ投票したわけです。この結果には、不思議にも共通点があったと思っています。

見取り図に対しては、いわゆる正統派の漫才師であるお2人が票を入れました。安定感はずば抜けていて、大阪で"劇場番長"と呼ばれるだけあるなといったところですね。

おいでやすこがに対しては、それぞれ冠番組とMCをいくつも担当してこられたお2人でした。"バラエティ枠"とは言い過ぎですが、ピン芸人のユニットとしてそれぞれの個性と経験値が融合した笑いが刺さってのことだったでしょう。

そして、マヂカルラブリーは、自身もコント形式の漫才を作る礼二と富澤、そして審査員としては異質な落語家の志らくによる票を集めての優勝でした。正統派ではない、器用ではない、でもおもしろかった、こういうメッセージすら感じてしまうのは私だけですかね。

また、優勝後に礼二が「マヂカルラブリーは"漫才"をずっと続けてください」とコメントした言葉がとても印象的でした。彼らの芸が「漫才ではない」と酷評される未来を見越していたかのように、あるいは、礼二自身が君たちは"漫才"師だとお墨付きを与えたかのように思えて、勝手に感動してしまったシーンでした。

 

まとめ的な話

 

今回は、先日のM-1グランプリで物議を醸した「あれは漫才なのか」論争について、私なりの意見を書いてみました。少なくとも、私がかなりの漫才好きであることは伝わってくれたのではないかと思います。

結論としては、今年のマヂカルラブリーの優勝には異論の余地もない、という私の感想でした。

今回書いたようなことがしばらく私の頭のなかにはあったのですが、2020年のうちにこれは記事にしておきたいなと、ふと思いましたので、遅ればせながら書くことにしました。各所で取り上げられ、もう議論は尽くされたようにも思えますが、私のブログのコンセプトの一つである、自分なりに考えたことや感じたことを書く、という意味において、考えついてしまった以上は記事にしてみようということでした。

今年のうちに書いておきたいなと思う内容がもう1個だけありますので、また時間があれば続けて投稿しようと思います。ちなみに、趣味のお話です。

 

ここまで最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

それでは。

大阪都構想「否決」―その敗因とは

どうも、フランコ君です。

前回は「大阪都構想」について、その住民投票の直前というタイミングではありましたが、私なりに疑問に思っていたこと、調べていて感じていたことを書かせていただきました。

11/1(日)にその大阪都構想の可否を問う住民投票が行われ、皆さんもご存知のとおり、反対が賛成をわずかに上回り、「否決」されました。約5年前、橋下徹氏が挑んで以来2回目の都構想住民投票でしたが、前回とほぼ同じ結果に終わりました。

これによって、ひとまず"大阪市"は存続することとなりました。前回の記事を読んでいただいた方は薄々おわかりかと思いますが、個人的には"反対"の立場だったので、この結果には安堵しています。

francokun.hatenablog.com

 

今回の記事では、前回に引き続き大阪都構想住民投票をテーマにいたします。このたびの住民投票に関しては、大阪維新の会からすると「ミスが重なっての敗北」であり、敗因となったのは、選挙戦略上の読み違いや認識の甘さにあると言えるのではないでしょうか。

そして、今回のこの敗戦をうけて、松井市長は政界引退を決め、吉村府知事も「僕としての3度目の挑戦はない」と明言。ここ10年間で築き上げてきた大阪における「維新一強」の構図に少しは変化が生じるはずです。大阪(日本)維新の会は空中分解してしまう可能性すらあるのではないかと正直感じています。

そこで、そういった観点から、勝手に住民投票の振り返りをしてみようと思っています。私は、今回の最大の敗因に直接関わっているのが「公明党だと考えています。なぜなら、今回の都構想案とその住民投票で、前回(5年前)と比べて最大にして唯一異なっていた点はというと、「公明党が賛成に回ったこと」だからです。なので、最大の敗因ないし誤算は、「維新が公明党への認識を誤っていた」ことにあると感じています。

 

勝負手に潜んだ2つの誤算

 

1年半ほど前、いわゆる”大阪ダブル選”において、都構想推進を政策に掲げた維新の”圧勝”という結果をうけて、公明党は”大阪の人たちの民意が示された”と考え、大阪都構想の議論に参加すること、つまりは「都構想賛成派」に鞍替えしました。

しかし、公明党が賛成に立場を変えたことには、それ以上に大きな理由があったと言われています。その理由というのが、都構想に賛成しなければ、次の国政選挙で公明党の選挙区に維新の対立候補を立てる」という維新側から公明側への要求があったということです。”いくら公明党の爆心地である大阪でも、人気のある維新には勝てないかもしれない”、そう考え、維新と結託するという選択をしたと思われます。(安倍前総理が衆議院解散の可能性を含む発言を繰り返していたことも後押しして。)

このような経緯で、維新はこれまで反対派の中心にいた公明党を賛成派に引き込むことに成功したのです。ここまでは維新の戦略どおり。では、何が誤算だったのか。私は2つあると思っています。1つは「公明党支持者からの猛反発」、2つ目は「4条件による弊害」です。

 

誤算①:公明党支持者からの猛反発

 

まず、公明党の絶対的な支持団体である創価学会に関して。

今回の住民投票においては、公明党支持者のうち半数以上が”反対”に票を投じたというデータが公表されています。これに対して、「公明党が支持者をまとめきれなかった」と分析している方も多くいます。しかし、私の考えは違います。「公明党の支持者(≒創価学会員)は、意外と自主的・主体的に選挙活動に臨んでいる」と思うのです。つまり、普段から創価学会として組織的な支持拡大運動をしているだけであって、公明党創価学会に支持させている関係性ではないのです。創価学会員は、信仰の延長線上で活動をしているわけですから、当然のことですね。

そもそも維新の会がなぜ公明党にすり寄ったのか、それは、公明党がもつこの「組織票」が欲しかったからです。「公明党が主張すれば創価学会はついてくる」というイメージがあったのでしょう。それが意外にも、公明党支持者に反対が根強かったその原因は明らかで、維新の常習的な選挙戦略=「仮想敵を作る」というものにあります。彼らの仮想敵の一つがこれまで”公明党でした。「公明党は敵だ」「創価学会を潰す」のような攻撃的な発言は、今まで主に橋下氏や吉村府知事の口から幾度となく浴びせられていました。1年半前の選挙においても例に漏れずそうでした。創価学会はそれを忘れるはずがありません。どちらかと言えば、「よく半数近い人が”賛成”に入れたな」というのが正しい解釈ではないでしょうか。

ただし、この住民投票においては、自粛の影響もあり創価学会はほとんど動いていません。そのため、”反対”に投じた学会員だけでなく、その知り合いなんかの票も失ったことになり、本来の公明党であれば拾い上げていた人たち(”賛成”が見込まれた票)がかなり”反対”に流れたことは間違いないでしょう。

 

黒幕は菅総理

 

公明党は都構想賛成派としてこの住民投票に臨んだわけですが、テレビや演説を見ても、公明議員たちはどこか上の空、本気で賛成しているようには思えませんでした。そして、最終盤になって、公明党は突然東京から山口代表が来阪し、吉村・松井両氏の応援演説に立ったのです。おそらく、維新側が公明側に何かしらの圧力をかけたのでしょう。”なっちゃん”の愛称で親しまれる山口代表の来阪が、半数近い”賛成”の票につながるものとなったのは間違いありません。

それでは、なぜ山口代表の来阪が実現したのか、それには、維新の松井市長と菅総理大臣が仲良しだということが関係していると考えます。菅総理が松井市長と親交があり、国政における日本維新の会(という自民党の補完的勢力)との太いパイプをもつことは有名な話です。以前から大阪都構想にもおおむね肯定的な立場を示していました。自民党公明党は国政で連立を組んでいるため、ただでさえ維新寄りの菅総理を不快な気持ちにさせてはいけません。我々は有言実行、大阪都構想にしっかり賛成をしている、ということを菅総理にアピールする目的で山口代表が大阪に向かったと言えそうです。

また、私の印象としては、当初大阪はコロナ対応に積極的に取り組んでいたものの、8月の吉村府知事による”ポピドンヨードの効果”の会見で非難されたころから、大々的な露出がめっきり減ったように思います。そして、9月に入って菅氏が正式に内閣総理大臣に就任しました。このあたりから、正直、吉村府知事や松井市長の関心は”都構想の住民投票”に移っていたことが容易に見て取れました。少しコロナ騒動が落ち着きはじめると、驚くほどスムーズに、住民投票の流れになっていました。このようなことからも、やはり菅総理が松井市長をバックアップしていたのかもしれないなと勘ぐってしまうのです。

 

誤算②:4条件による弊害

 

続いて2つ目が、公明党が賛成に回るにあたって維新側に提示した「4条件」が都構想を可決から遠ざけたのだろう、という点です。

条件の内容は調べていただけるとわかるので割愛しますが、私がとくに反対に加担することになったと思っているのは、「コスト削減」を求めるものです。無駄なコストとされたものの代表例が”新庁舎を建設する費用”です。これによって、現行の区役所の活用、すなわち「役所の窓口業務の維持」という4条件の内のもう1つの条件も満たすことになるので、公明側はかなり推進したようです。そして、コスト削減は(都構想の費用を捻出するために)これまで維新がかなり頑張ってやってきたことでもあるので、これは今回の都構想案の目玉でもあったと思われます。

それでは、なぜ目玉であったコスト削減が裏目に出たのか、それは、都構想が「スケールダウン」してしまったからではないでしょうか。

大阪都構想とは、一言で表すと「大都市制度改革」です。前回の橋下氏による都構想は、大阪の政治の仕組みが大きく変わる、文字通り”改革”でした。しかし、今回については、その橋下氏の提案と比べて、”コストを大幅に削りながら、住民にとっては今までと変わりなく生活できるように維持し、二重行政を解消する”という代物になってしまったのです。「これだったら、わざわざ”大阪市”を廃止しなくてもええやん」「そんなに変わらへんやん」と、まさに自民党のキャッチコピーのように「知れば知るほど」、大阪市民にはスケールダウンに感じられたのではないでしょうか。

つまり、大阪都構想の一番大事な部分である「”改革”感」みたいなものが薄れてしまったことによって、かえって反対派に批判させやすくしてしまったと感じています。これは結果的にそうなったのでしょうが、もし公明党がこうなることを見越して、「一度は賛成に回るけれど住民投票で否決させてやろう」という魂胆をもっていたのであれば大したもんですね。

 

まとめ的な話

 

今回も「大阪都構想住民投票」についての投稿でした。またも予定していたより長い長い記事になってしまいましたが、最後まで読んでくださりありがとうございました。

かなり主観的で偏った分析ですが、個人的にはけっこう的を射てるのではないかなとは思っています。(なので書きました。)

冒頭に書いたように、このたびの住民投票の結果は、前回のものと得票率はほぼ変わらなかったと見受けられます。しかし、前回との違いである公明党に目を移すとすれば、維新が狙ったかれらのもつ組織票を半分も取れなかったとしても、本来はそれで十分だったはずなのです。つまり、前回は公明は反対派だったため、5年前よりも得票率は上がっていないとおかしな話だからです。なので、こうやって分析してみたいなと思ったのです。やはり「前回は”賛成”したけれど、今回は”反対”に入れた」という大阪市民が、維新の想定以上に出てしまったのでしょう。その原因が先にあげた2点である、という記事でした。

今回の記事は「公明党」にスポットを当てて考察してみましたが、もちろん他にも原因はあったでしょう。例えば、反対派の先頭に立った「自民党」は、もともと"府議団は賛成、市議団は反対"の立場をとっていました。先ほど書いたことと同様に、国政の自民党と公明・維新は良好な関係性であり、そこへの配慮のためです。しかし、選挙戦終盤になって、菅総理に了承をとり、府議団・市議団ともに明確に"反対"を訴える姿勢に変わったのです。国政自民に対する忖度を捨て、大阪自民が足並みを揃えて反対したことは勇気ある行動だったと言えるでしょう。

 

「大阪の成長」は有権者である大阪市民の総意であるはずです。松井市長が言われたように、それぞれが大阪が良くなることを願って一票を投じた経験は未来につながるでしょう。いや、これを未来につなげるために、政治家の皆さんはこれから奔走してもらいたいと思います。

 

それでは。

「大阪都構想」について思うこと

どうも、フランコ君です。

最近、本業が忙しくて、なかなかブログを書く時間がとれておらず、投稿の間隔がかなり空いてしまっています。しばらく連載してきた『特集』については、いろいろ内容を調べたりまとめたりして書いてきたのですが、それもしばらくできていません。

そこで、まとまった時間がとれるようになったらまた『特集』を再開することにして、ここで一旦軽めの記事をあげることができればと思っていました。

"フランコ君はもうブログをやめてしまった"と思われてしまうと困りますのでね。

 

今回の記事では、11/1(日)に投票日を迎える「大阪都構想」について、私なりに感じていることを書いていきたいと思います。

住民投票はもうすでに告示され、期日前投票も始まっていますが、全国的な知名度や関心はどうなのでしょうか。

関西人である私にとってはやはり重要な問題なので、様々な情報を集めています。しかし、正直なところ、(都構想に関してだけでなく、情報というものはいつも)だれの言っていることが正しいのかわからないし、真偽は闇の中、またそれは情報を発信している側もわかっていないものなのだろう、とつくづく感じています。

私の周りにいる大阪都構想賛成派の人たちに話を聞くと、そのほとんどが”大阪がこのままやったらアカン”とか”何か改革しないと大阪は前に進まない”といった意見が出てきます。これは私からするととても抽象的であり、観念的な意見に思えています。

そこで、以下、(私が間違った情報を見聞きし、信じこんでいることも大いにあると先にお断りしたうえで)自分なりに考えたことや疑問に思った点を書いてみようと思います。

 

大阪都構想」とは

 

まず、大阪都構想とは何か、ということを書かなくてはいけないでしょうが、具体的なことは調べていただけば出てくるので、少しばかり乱暴に一言で説明します。

大阪都構想とは「政令指定都市"大阪市"を廃止して、4つの"特別区"に解体・再編する」という政策です。

ちなみに、仮に大阪都構想を行なっても、実際に名称が"大阪都"に変わることはなく"大阪府"のままで、しかし"大阪市"という自治体名はこの世から無くなるようです。つまり、厳密には"大阪都"構想ではないのです。

政令指定都市とは、人口50万人以上の市のなかでも、一定の行政能力があると政令で指定されている大都市を指します。政令指定都市になれば、本来は県が行う行政サービスの一部を任され、そのための財源も移譲されるので、県ではなく市の責任のもとで行うことができる業務が発生するそうです。つまり、特別な権限と財源が与えられるので、地域独自の住民サービスをするといったこともできるようになります。

大阪都構想が実現すれば、大阪市という政令指定都市が無くなるため、このような権限・財源も大阪から無くなってしまう、というのがもともとの都構想案でした。そこで、1年半ほど前から急遽公明党が法定協議会に加わったこともあり、もう一度そのあたりが見直されました。政令指定都市ではなくなるものの、市民にとってはあまり大きな変化なく生活ができる制度が作れるくらいの財源が確保できる見通しがたったので、即座に今回の住民投票に踏み切ったというのです。

 

疑問:なぜコロナ禍の今、住民投票なのか?

 

そもそも論です。都構想の内容云々はさておき、これが私の最大の疑問点です。テレビ番組やビラ等をいろいろ見てきた私ですが、これに対して納得のいく答えはなく、賛成派は答えることを避けているようにも思われます。

今は何かを争う時ではなく、コロナウイルスという未曾有の感染症にオール大阪で立ち向かう時ではないか、とやはり感じてなりません。

都構想は後回しにして、コロナ対策を先に存分にやってから住民投票をする方が、"勝つ"確率はどう考えても上がりますよね。

しかし、それをしたくない理由があるのでしょう。答えはシンプルだと思います。松井一郎大阪市長が今回の任期限りで政界引退を決めているからだと思われます。

いわば維新の"代表"であり"顔"である松井市長を失ってからの住民投票には消極的になった、そして、これまで橋下徹氏政権から都構想を推し進めてきた松井市長に最後の花道を用意したい、この2点なのではないかと私は考えています。

 

疑問:大阪市を無くす必要があるのか?

 

全国には、メリットのある政令指定都市に昇格することをめざし、中核市どうしで合併を試みるようなケースも少なからずあります。そんな"政令指定都市"を大阪市は自ら放棄し、中核市と同等かそれ未満の"特別区"を設置するのです。できることならば大阪市を無くしたくない、というのはとても自然な意見でしょう。

私自身は「学校教育」の分野にかなり関心があるので、そこに焦点化して考えることにします。

現在、大阪には「大阪府」と「大阪市」の2つの教育委員会が存在します。都構想が実現されれば、それに伴ってこの大阪市教育委員会」も4つに分割されるそうです。しかし、ここで疑問なのが、独自の教育委員会を設置することができるのは、政令指定都市に与えられた権限だったはずではないか、ということです。つまり、"大阪市"が無くなるのであれば、「大阪府教育委員会」に教育業務が一本化されるはずでしょう。

これについては、学校というのは人々の生活や地域社会に根差した営みであるから、各特別区が担うことになるのだ、というロジックで特別区教育委員会」が4つ作られることになるのです。私の知る限り、大阪都構想にはこのような"例外"が他にもかなり生まれる可能性があります。大阪都構想だ」と大々的に打ち出し、大阪市という名称は廃止するものの、大阪市のコミュニティや枠組みは維持しないと運営が難しい、という前提があるのです。

あるいは、今回のコロナウイルスに対しての大阪としての取り組みについてです。大阪府下においては、大阪市の感染者数が半数以上と飛び抜けているそうです。なので、大阪市だけの医療資源では十分に処理できないことを見込んで、吉村府知事が陣頭指揮をとり、"大阪府"にコロナ対策本部のような機関を別個で作って、そこが大阪市も含めた大阪府全体のコロナ対応を行なっているようです。

これを知った私は素人なりにこう感じました。大阪市を廃止しなくても、実質的な都構想は実現できるのではないか、と。わざわざ時間もお金も人手もたっぷりかけなくとも、"広域事業は大阪府、住民サービスは大阪市"という、今回の都構想の考え方と同じことができる条例か何かを作ってしまえないのか。政令指定都市を維持しながら、府市で役割分担ができるような仕組みに変えることによって、二重行政くらいは解消できそうな気がしてならないのです。

吉村・松井両氏は、「現在の大阪は人脈によって実質二重行政がなくなっているだけだ」と主張しているようですが、だから"大阪市"を無くそう、というのは少し短絡的ではないでしょうか。(細かいことは私自身わかっていないので、実現不可能なことなのかも知れませんが。)

 

疑問:二重行政の解消→大阪の経済成長?

 

大阪都構想の最大の目的は、二重行政の解消です。政令指定都市である大阪市は、これまで大阪府とどうも折り合いのつかないことばかりで、何をするにもなかなか前に進まない、これが賛成派の方たちの論調です。

そもそも、この二重行政という大都市特有の現象は、今に始まったことではなく、全国的な課題の一つではないかと私は思います。例えば、北海道と札幌市、神奈川県と横浜市なども立派な二重行政ですね。

橋下徹氏以来の維新を中心とした賛成派の主張どおり、二重行政が市民生活にまで影響するのなら、大阪以外の地域においても同様に特別区へと再編するように、国として対策をとるべきだと考えられます。地方分権を強調する政党なんかも多いなかで、非効率的な仕組みをそのままにしておく必要はないでしょう。

また、吉村府知事や松井市長らの考えによると、「二重行政を解消することによって府内の政治の役割分担が明確になり、政治がうまく機能する仕組みができ、そして大阪が元気になるので、東京一極集中を打開することができる!」のだそうです。二重行政を解消することで政治がしやすくなる、というのは異論の余地もないでしょうが、それは政治家の立場であって、市民生活や経済成長とはまた別次元のお話のように私には思えますね。大阪を元気にするために、首都・東京の急成長にヒントを得るのは悪くありませんが、東京が都政になったこととの因果関係は果たしてどのくらいあるのか、論理の飛躍ではないか、と感じますね。

 

フランコ君なりの結論

 

私はこの都構想について様々な情報を集めていますが、正直、以上のように多くの疑問点が残ります。

都構想は可決されれば改革が前に進むのではなく、基本的には特別区に再編したあとに各特別区でそれぞれ話し合いをして進めていく内容がたくさんあります。つまり、「細かいことは特別区に再編してから決めるから、どうなるかはあまりわかりません」という前提があることを、大阪市民はまず理解しましょう。これからより深く詳細に議論して決めていかなくてはいけないことも山積みなので、民意を裏付けに「2025年の実施」というタイミングをまずは押さえて、決定事項としたうえで急ピッチで話を詰めていくことになります。

なので私としては、よく決まっていない政策をまだ世に出さなくても、例えば、来年の10月頃に衆議院の解散に伴う選挙があるわけですから、その時に併せて都構想の住民投票を行ってもよいはずだと思うのです。そうすれば、あと1年、もう少しだけでも議論が進んだ内容をもとに、大阪市民は判断できたでしょう。

 

そして、何よりも大阪市民が理解しなくてはいけないのは、大阪都構想には「かなりのお金がかかる」という点です。賛成派によると数百億円、反対派によると数千億円です。それだけのお金をかけて政策をするのですから、一定以上、大阪の政治が前に進むのは当たり前のことです。別の方策であっても、数百億円かければ何か変革できそうにも思います。

本当に都構想ではなくてはならないのか?あなたが求める以上に大阪市が成長しそうだと思うか?これを問いかけながら、情報を整理してとらえていく必要があるでしょう。

 

まとめ的な話

 

今回は、投票日が間近に迫る「大阪都構想」という都市改革案をテーマに、あくまで私が素人なりにいろいろ情報を見聞きし、感じた疑問や意見を書いたまでです。軽い記事とか言っておきながら、途中から勢いづいてきて、結果かなりの長文になってしまいました。

読み返してみると、都構想の内容云々ではなく、そもそも論ばかりになっていますね。基本的に私は政策の内容の議論よりも、むしろこういった問題の背景や周辺的な憶測みたいなものを好むタイプです。

この選挙戦に関しては、賛成派・反対派ともにデータで示して主張を展開しているものの、その真偽はやはりよくわかりません。個人的には、賛成派のほうが正しいデータを出しているように思えるのですが、注意深く話を聞いていると、結局のところそれらも希望的観測に過ぎないだろうと思います。

 

現状、大阪都構想に対しての市民の意見は、賛成と反対が拮抗しています。可決されても否決されてもおかしくないという状況です。そもそも、地方の自治体のあり方が別のものに変わるのに、拮抗してギリギリ過半数で可決されてしまった場合、反対派は黙っていないだろう、とも思いますが。

ここから賛成派・反対派ともに攻勢をかけてくることでしょう。あとは、大阪市民の民意がどうなるか、楽しみに見守りたいと思います。

 

それでは。

教育者のための特集④アクティブラーニングとは(2)

どうも、フランコ君です。

今回も「アクティブラーニング」についてのお話です。前回からの続きという位置づけになりますので、まだの方や内容を忘れてしまった方は、こちらの(1)を読んでいただきたいと思います。前回の前提知識を共有していただいているということで、先に進んでまいります。

 

francokun.hatenablog.com

 

前回のお話の最大のポイントは、BarrとTaggによる「教授・学習のパラダイム転換」という考え方でした。「教える=客観主義」から「学ぶ=構成主義」へと”パラダイム”を転換する、すなわち、教師ではなく生徒を主体とするあり方へと、”土台”あるいは”哲学”からまるごと変えていくことが求められ、それが「アクティブラーニング」の意義である、本質である、と主張しました。

ここまでは一般論的なお話として、今回、フランコ君なりの視点でさらに話を展開させ、構成主義の教育観を具現化したともいえる「アクティブラーニング」という考え方・実践に関して、その可能性や課題といったところを議論していきたいと考えます。なぜ、私がそれほどまでにアクティブラーニングを重要視し、「教育改革の旗頭」とまで考えているのか、それについての答えにもなる内容かと思っています。

 

授業中だけアクティブラーニング?

 

アクティブラーニングとは、単なる"学び方の変化"や"教授法の改善"のような次元の話ではないと私は考えています。

BarrとTaggによるこの「教授・学習のパラダイム転換」は、従来の学校という場のそもそもの目的に疑問を投げかけ、認識を新たにすることを求めた理論でもあります。

すなわち、”何を教えるか”から”何を学ぶか”へ、”客観主義”から”構成主義”へ、根本的な”哲学”を変えてしまおうという考え方は、当然ながら授業場面にとどまる話ではないのです。この「アクティブラーニング」という”哲学”が、学校教育のあらゆる場面で行われてこそはじめて意味をもつのだ、というのが彼らの高らかな宣言の真意なのではないか、と私は考えます。

 

アクティブラーニングの限界

 

しかし、そうは言っても即座に、”さあ、やろう”とはいかないのも現実です。真の「構成主義に基づく学校教育」をしようと思うと、現行の学校における構造的な問題へと帰着します。すなわち、学校そのもののしくみや存在意義から設備まで、(ここもやはり)まるごと変えてしまわないといけません。しかし、それが一筋縄でいかないのは想像に難くありません。やはり教育は「100年の計」なのだなと、ここでも感じるわけですが、とは言えそれにひるんですべてを従来どおりでやっていては、いつまでも「客観主義の学校教育」を継続していくことになります。それがもはや"時代遅れ"であることは、多くの教育関係者も同意してくださることでしょう。

学校の構造やしくみといったことは、それこそ国や自治体のレベルで解決しないといけないわけで、それを待つのも方途の一つではあるものの、教師の日々の心がけ、活動、実践、そして教育という営みにおいてより本源的な”哲学”に関しては、比較的容易に転換できるのではないか、と私は思うわけです。

図らずもこの「パラダイム転換」の時代に生まれ落ちた必然を認識し、構成主義らしく”自ら主体的に”、新たな学校教育のあり方を”構成”していく、私自身そんな教師になりたいし、それがもっとも生徒たちによい影響を与えることになるのではないかと考えています。それこそが「研究する教師」の姿なのではないでしょうか。

 

教育改革を生きる教師の使命

 

何度も言うように、これまでの学校というのは「客観主義」に基づいています。教師が教壇に立ち、生徒は全員が教師のほうに向き、教師の話を静かに聞いていることが求められます。教師によって教えられることを身につけられているか、生徒は注意深くテストあるいは監視されます。しかし、それが近年、アクティブラーニングの流れのなかで加速度的に変容しつつあるのです。「客観主義から構成主義へのパラダイム転換」という世界的な教育改革は、私たちの周りでもすでに、たしかにはじまりつつあります。アクティブラーニングという”教え方の変化”が、教育現場においてある程度受け入れられているということ自体、私にはその先にあるダイナミックな転換・改革の足音が聞こえてくるようです。

ただし、現状ではまだまだ道半ばであり、アクティブラーニングが本来意図するのは、あるいは私たちがめざすべきなのは「パラダイム転換」です。学校教育における”哲学をまるごと新たにする”という、次のステージへと移行していく教師が増えていくならば、それに伴って徐々に改革の「うねり」が生まれます。この「うねり」が水かさを増すように大きく強くなる過程が、「パラダイム転換」のためには不可欠であると私は考えています。

真の構成主義教育の実現には、上に書いたようにまだまだ時間を要するのは間違いありません。それも、ある日突然「客観主義」が「構成主義」になるなんてこともありえませんよね。「うねり」という言葉を用いたのは、パラダイム転換にも「連続性」があると思っているからです。すなわち、パラダイムが転換する過程においては、「客観主義」「構成主義的客観主義」「客観主義的構成主義」「構成主義」といったように、段階的に大衆に受け入れられていくなかでいくつかの様相があったりするはずでしょう。

この4段階は完全に私のオリジナルの発想ですが、これに当てはめるならば、現在は「構成主義的客観主義」に少しずつ近づいてきたところ、かと思います。なので、一足飛びに構成主義へと向かっていきたいところ、当分の間は、客観主義のしくみのうえにはありながらも、構成主義の教育観を意識して教育実践を行うことがもっともよいのではないかと私は考えています。

(ちなみに、このように「客観主義」から「構成主義的客観主義」にさらに移行していく近い将来にあって、第一の障壁となるのが「評価のしくみ」であると私は考えています。このような「構成主義の学校教育のあり方」についてはまた今度、1本の記事にしてフランコ君なりの展望として示していきたいと思っていたりします。)

 

まとめ的な話

 

Think globally, act locally.」という言葉があります。誰が言いはじめた言葉なのかは諸説あるようですが、1960〜70年代の市民活動ではすでに普及していた言葉だそうです。「地球規模で考え、足元から行動せよ」と訳されますが、これはまさに、この客観主義から構成主義への教育改革、パラダイム転換を成し遂げるのに、教師にとって必要な視座ではないかと思います。この世界的な、あるいは国家的な教育改革の到来をまずは感じとり、そして私たちはその時代に生きていて、わずかながらもその一翼を担っているのです。私なんかもとより力はありませんが、そんな壮大で崇高な理想をもって、しかしながらやるべきことは「生徒が中心」の視点に立脚した学校教育という、日々の草の根の実践であると思うわけです。

構成主義の学校教育を実現するためには、学校のしくみそのものにメスを入れること、そしてまずは教師がパラダイム転換する努力を惜しまないこと、と(偉そうにも)書かせていただきました。しかし、その私も含めた、ほぼすべての人が、教師が、教育関係者が、保護者が、「構成主義」による学校教育を自らは受けていません。よって、意図的・無意図的に「客観主義」の教育を行ってしまうはずです。このことが最大の課題ではないでしょうか。

私は自らの被教育体験から、あるいは大学時代から心理学や学校教育について様々学ぶなかで、教師と生徒の"主従関係"のようなものに違和感を覚えました。生徒は教師の言うことを聞かなければならず、できなければ叱られる、結局生徒は教師の顔色を伺うしかない、その発想に基づく教育が、詰まるところ体罰や鉄拳制裁として顕在化するのでしょう。しかし、大学4年生になって、教育実習生としていざ現場に入ると、私はその違和感はやはり心の奥にもちながらも、それを意図せずどこかにしまい込んでいたのです。周りの先生方の”生徒をまとめるテクニック”ばかりを注視し、さも教育において大切なことを学んだような気になっていただけだったのです。実習中の私の言動を細かく振り返ると、それが唯一にして最大の反省点ですし、大学院に進学していなければ、この反省をする機会すらなかっただろうと思います。あのまま教師になっていたら、結果的に、私が違和感をもっていたはずの、教師側の視点でもって生徒を束ねる、従来型の教師になって一生を終えていたことでしょう。このブログで書いている、構成主義の理想を抱くことができ、間違いなく私の教育観はより強固で異質なものになりました。 

 

以上、「アクティブラーニング」について、2回に及んで書かせていただきました。最後まで読んでいただき感謝いたします。なかなかうまくまとめられなかったような気もしますが、今こそ教師たちは”哲学”を思い切って新たにすることが重要だ、こういった私の考え方だけでも伝わっていると幸いです。

次回に関しては、『特集』の第5回目、現在の学校教育のあり方(近代公教育)が成立した歴史や、教育観の変化などについてざっと書いていきたいと考えております。

 

それでは。

教育者のための特集③アクティブラーニングとは(1)

どうも、フランコ君です。

ここまで『特集』として、第1回目「構成主義とは何か」、第2回目「客観主義と構成主義の2つのパラダイム」といった記事を書いてきました。

今回は『特集』の第3回目、構成主義」と「アクティブラーニング」との関連について考察していきます。”これからの学校教育のあり方”を論じるためには、この「アクティブラーニング」はとても実践的で身近なキーワードになりうると私は考えています。

これまでの『特集』の投稿を読まれていない方、忘れてしまった方はこちらから。

 

francokun.hatenablog.com

francokun.hatenablog.com

 

今回ご紹介させていただく参考文献は、田中俊也先生編著の『教育の方法と技術:学びを育てる教室の心理学』という本です。学習理論や教育評価、ICT活用など、学校の授業に関係する話題が網羅的に書かれていると思います。そのなかから、「アクティブラーニング」に関する内容として今回は、森朋子先生がお書きになった「第3章:学びが育つ教授法」を参考にします。(実は、私は大学時代の教職科目でこの森先生の授業を受けたことがあり、私の教育観にかなり影響を与えた方です。)

これに加えて、(前回ご紹介した)久保田賢一先生の『構成主義パラダイムと学習環境デザイン』という本の内容とをフランコ君なりに関連づけ、肉づけするような形で、以下に論じていければと思います。私が大学、大学院と教育について学び考えてきたなかでの”アクティブラーニングとは何か”、”アクティブラーニングをどのように実践するか”、といった課題に対する一つの結論を、今回の記事を通してたっぷりと書いてみます。

 

先に結論

 

まず、今回の記事の結論部分から述べさせていただくことにします。

【アクティブラーニング=構成主義

【アクティブラーニングは、構成主義の学校教育をめざすうえでの重要な実践である】

これが私の考えであります。

 

「アクティブラーニング」と聞くと、みなさんはどのようなこと(概念、理念、活動など)をイメージされるでしょうか?

グループ学習や班学習、フィールドワーク、ICT機器を使った学び、積極的な発表活動などがアクティブラーニングとして広く行われています。アクティブラーニングは、学校に関わる人々の間では「新たな学び方」として”常識”にすらなってきていると思います。アクティブラーニングという言葉が教育界に広く流布しはじめてもう何年も経っていますので、かなり多くの人に認知されていますが、正直な感想として、それほど重要なことと意識してきた人は決して多くはないでしょう。

(あくまで私の肌感覚ではありますが)アクティブラーニングは、マンネリ化していた日々の授業に刺激を与える教授法として、教師たちはその物珍しさや目新しさに取り入れてみて(あるいは、学校全体の取り組みになっていたり、うまくいった周りの教師を真似してみたり)、そして、その想像以上の成果に驚き、チャレンジを継続している、といった理由による実践がほとんどと感じます。(もちろん、やること自体に大いに意味があるのですが。)

しかし、私にとってはこの「アクティブラーニング」という活動は、これからの「教育改革の旗頭」とまで言えるくらい、改革のめざすべき根本的な考え方が集約されている活動であると思われるのです。いまは単なる”授業のやり方の変化”くらいにしかとらえられていない、この「アクティブラーニング」というものが、先制パンチのように、これから加速する教育改革の伏線になるかもしれません。

 

アクティブラーニングとは何か

 

 そもそも「アクティブラーニング」とは、アメリカの大学教育改革のなかで生まれた用語です。教師による一方向的な講義形式をやめて、学習者自身が知識を活用しながら自らの思考を能動的に構築していく、その主体的なプロセスのことであり、そしてそれが書く・話すなどの活動を通じて外から見えることが重要になってきます。つまり、アクティブラーニングは何かひとつの枠におさまる教育方法なのではなく、生徒の思考や行動がまさに「アクティブ」になっているかどうか、という観点に立ってのあらゆる”能動的学習を指すと思います。(教育学においては古くから類似の概念がいくつもあったようですね。)これが大学にはじまり徐々に下の年代における教育に取り入れられてきたのです。

アメリカの教育学者であるBarrとTagg「教授・学習のパラダイム転換」という考え方を提唱しています。この理論は、アクティブラーニングの必要性を論じる際の非常に重要な視座です。というよりもむしろ、「教授・学習のパラダイム転換」がアクティブラーニングの目的である、と私は考えています。

授業というのは、言うまでもなく「教える(教授)」と「学ぶ(学習)」との相互作用によって成立されます。しかし、従来の学校ではついつい「教える」が中心となり、”何を教えるか”といったように教師が主役になってしまうのです。それはある種、教師が日々一生懸命に生徒のために行動していることの証左でもあるのでしょうが、そうではなく、生徒が学んでいるかどうかに目をやり、”何を学ぶか”を重視する、生徒が主役の授業であるべきだ、それが教師のミッションだ、というのが彼らの含意なのです。「一生懸命やるのは生徒だ」という具合に頭を切り替える、”転換”することからアクティブラーニングははじまるのかもしれません。

 

アクティブラーニングと構成主義

 

ここで話が終わってはいけませんね。”これを実現するにはどうするべきなのか”というアクションプランが重要です。その答えになるのが、彼らのフレーズのなかの「パラダイム転換」という部分です。【「教師が教える」から「生徒が学ぶ」に授業の方法を変えていく】ではありません。【「教師が教えるというパラダイム」を「生徒が学ぶというパラダイム」に転換】するのです。

ここにおいて、『特集』の1回目・2回目と書かせていただいた内容が深く関連してくるのです。

パラダイム”という言葉の意味は、ものの見方、”哲学”ということでした。「教師が教えるというパラダイム」のことを「客観主義」、そして「生徒が学ぶというパラダイム」のことを「構成主義と呼ぶわけです。客観主義とは、教師が知識を効率的に伝達し、それを生徒はひたすら身につけ、それができているかを教師がテストする、といった教育観でした。一方の構成主義では、知識は生徒が自らの頭のなかに主体的に構成していくものであり、教師はそれが円滑にできるように支援する、といったような教育観になります。

この「客観主義」から「構成主義」への教育理論の”転換”は、単に教育の重点が”振り子”が振れるように「教授」から「学習」に移ったというとらえ方では不十分と言えます。”転換”とは、”別のものに変える”ということを意味するのであり、すなわち、教育(ないし各人の教育観)の根底にある”哲学”をこれまでとはまったく異なる方向性に変えていく必要がある、と認識しなければならず、そう認識せずして”転換”はないでしょう。

現在、日本中の教育現場において導入されている「アクティブラーニング」というのは、”教える”ばかりではなく”学ぶ”授業にしよう、とあくまで同じ土台のうえに乗ったまま、”振り子”が一方から他方へ移っていくくらいにしか考えられていないのではないか、と思われるのです。そうではなく、「教授・学習のパラダイム転換」です。土台(パラダイム)から変えてみませんか、と。最近では、「アクティブラーニングのやり方」なるものが散見されるようになりましたが、それはアクティブラーニングの”はじめたて”に活用するにはもってこいです。しかし実際は、教育を土台から変えてしまうのが「アクティブラーニング」の意味するところなわけですから、現時点でそのやり方なんてどこを探してもありませんし、あくまで”教育技術”の範疇を出ないものでしょう(”技術”はあるに越したことはないですが)。今までの学校で軽視されてきた「生徒がアクティブ」さえできれば、主役でもなんでもない教師側のやり方はそれほど大事ではないだろう、とさえ私は思っています。そのように教師が授業に臨むことによって、アクティブラーニングのやり方は開発・創出される性質のものと言えるのではないでしょうか。

つまるところ、まずは教師がパラダイム転換、すなわち、生徒に対する見方(自らの”教育哲学”)を別のものに変えなくてはいけないのではないでしょうか。なぜなら、今この瞬間も学校は「教師が主役」だからです。教育作用や効果というものにばかり囚われるのではなく、むしろ教育にあたるときの根本的態度を変えてみること、それ自体に意義があると私は考えています。”教師の質向上”が打ち出されていたりしますが、それをめざして研修なるものをやって教師の”指導技術”を高めても、「教師が主役」の日本の教育は続くしかないはずです。

(次回に続く…)

 

まとめ的な話

 

 

最近では、「主体的、対話的で深い学び」といった表現のほうが広く唱えられるようになっているのですが、私は「アクティブラーニング」のほうが(抽象的な言葉ではあるものの、かえって)誤解を生みにくくてよいのかなと思ったりしています。(もちろん、これらは全くの同義語ではないでしょうが。)

「主体的・対話的で深い学び」という言葉を知ったときの私はそこまで何とも思わなかったのです。しかし今回の記事のように、構成主義”と”アクティブラーニング”との連関に思い至ったとき、まさに構成主義の教育理論を具体化・言語化した学びのスタイルを示しており、”結局どうしたらいいの?”と戸惑ってしまう教師たちにとって確かによいフレーズだな、と感心しました。

しかし、一方で、主体性を発揮させないといけない、授業の中で対話をさせないといけない、などと過度に意識することになれば、かえって、生徒の(表層的な)主体性の無さが気に障ったり、あるいは(単なる)グループ学習の繰り返しになったりしてしまいそうに思われるのです。それにより知らぬ間に、”客観主義”への逆戻り路線に入るかもしれません。そのため、ここはあえて抽象的に、「生徒の思考・行動がアクティブになれるように関わろう(そしたら、生徒はいずれ自ら学ぶのだから)」というくらいの理念でもって、骨の髄から教師の生徒観を一新することではないかと、強調したいのです。そうすればおのずと、何の負担もなく、アクティブラーニングの授業に変わります。

 

次回、「アクティブラーニング」についてもう少し。補足的にアクティブラーニングの必要性や課題などといったような内容を書きたいなと思います。

アクティブラーニングは私がとても重要だと感じている話題なので、やはり1回では書ききれませんでしたね。また読んでいただける方は、次回お楽しみに。

 

それでは。

ようこそ澤村投手。ロッテファンとして思うこと。

どうも、フランコ君です。

今日は、はじめて「プロ野球」に関する記事を書いてみたいなと思っています。

ブログを開設して約1か月半になりますが、これまでこのブログでは、私の関心事である「教育」「学校教育」をテーマとした内容を投稿してきました。

そして現在は、『特集』と題して、これからの日本の学校教育のあり方について真剣に考察する企画を、連載で行っているところです。

それは置いておいて、本題に戻ります。今回のロッテ、巨人間での交換トレードの件、書きたいことは山ほどあるのですが、もう読めないくらい長くなることは目に見えるので、私なりの感想や推測をメインにここに書いていきたいと思います。

ちなみに、以下、選手名に関しては、"ただの一ファンの視点"を強調する意味で、あえて呼び捨て(敬称略)で書くことにさせていただきます。

 

デビュー戦の衝撃

 

「巨人・澤村とロッテ・香月の交換トレードが成立」

たしか7日の昼ごろにこの一報が発表され、澤村は翌8日に入団会見、その後早速1軍に登録をされ、その日に新たな本拠地となるzozoマリンのマウンドに上がることになりました。

ロッテが逆転した直後の6回表、難しい場面でのデビュー登板をむしろ意気に感じたのか、わずか11球で3者連続三振に仕留める圧巻の投球。巨人の守護神を務めた全盛期を思い起こさせる剛速球で、千葉のファンの心を鷲掴みにしました。最後の打者ビヤヌエバから三振を奪うと雄叫びをあげるほど、気合十分のデビュー戦は勝利に大きく貢献し、初日からお立ち台にも上ったのです。

私は澤村の投球を久しぶりに見たのですが、技術的な問題や年齢による衰えは評判どおりほとんど感じられず、ポテンシャルを発揮すればこれくらいできて当然、というようなボールを投げていましたね。またあのように、気迫を前面に出して打者に向かっていく彼の真骨頂を一度でも目の当たりにできただけでも、他の選手に波及効果はあったでしょう。巨人での不調はやはり精神的な課題にあったのだとするならば、環境を変えて復活する可能性に賭けたロッテ球団の判断は正しいと考えられます。そもそもトレードも含めて選手の補強というのは、どれだけ考えても結果は未知数なもので、しかし今回に関して言うと、現段階におけるこのトレードの意図・意義というものは大いに評価されるべきである、と私は思うわけです。(そのうえで、結果が出るかどうかはまた別の問題になってきます。)

ところで、zozoマリンには特有の強い風が吹くことは有名で、多くの選手はこれに苦しみます。一方、ロッテでは二木や種市がそうであるように、コントロールすることができればかなり落差の大きいフォークボールを投じることもできます。150キロ超の速球とスプリットを操る澤村と、マリンの風との相性はどうだろうかと、ロッテファンの心配の多くはそこにあったことでしょう。それが昨日は吉と出たわけです。

ここ数年、”巨人・澤村”はコントロールに苦しんで四球を連発する姿が目立ちました。しかしマリンでは逆に、コントロールしようとすればするほどおかしくなってしまうようなところがあるのです。ある意味で、開き直って思いきり腕を振らなくてはいけない、そういう環境になってしまったので、それが彼の一番の持ち味を引き出したと言えるでしょう。昨日のように、150キロ近いスプリットが真ん中より低めに決まるとそうそう打てないと、打者は諦めざるをえないですね。

まだ1試合しか投げていないので、正直なところ、どれだけやれるのかは誰にもわかりません。しかし、この「衝撃」はすでに他球団に”ロッテ・澤村”を印象づけ、プレッシャーを与えたに違いありません。

 

率直な感想

 

最近では岡、石崎の例があるように、ロッテ球団はトレードというものに対しては決して消極的ではないものの、やはりまずは「驚き」の気持ちが大きかったですね。何しろ、澤村はドラフト1位で入団し、新人王や最多セーブといったタイトルをとってきた、いわば”大物ですから、実績や実力などを鑑みると、失礼ながら香月とは比較することすら困難だと言ってよいでしょう。彼らの年俸の差もそれを物語っています。(香月にも当然ながら、実力や実績がないわけではありませんし、そう言いたいわけではまったくありません。)

香月については、主軸を打つ選手に成長してほしいという首脳陣からの期待を背負っていたことは明白でした。多少伸び悩んでいるように思われたものの、着実に力をつけ、今シーズンは2軍で結果を残していましたね。交換要員が香月であったことも、もう少しで1軍でも活躍できるところまで育ててきた選手を放出してまでも今、澤村の力を必要としたととらえて誤りではないはずです。ただし、ロッテは将来有望な左打者を何人も抱えていることはよく知られているでしょうし、それも間違いなくこのトレードを成立させた要因です。現在1軍で活躍している安田や和田を筆頭に、平沢、藤原、高部、福田光といった、香月よりも若い左打ちの選手だけでもすぐにこれだけの名前があがるわけです。将来的にクリーンアップを狙うようなパワーヒッターという点では安田以外にはいないのかもしれませんが、年々激化する競争のなかにあって1軍に定着できなかったのが痛かったですね。明るいキャラクターでもあったので、トレードには「悲しい」「残念だ」という思いですが、名将・原監督、そして同じ左の強打者・阿部2軍監督が指揮する新天地で、もう「悔いがある」(香月のコメントより)と言わないような飛躍を見せてほしいですね。

そして澤村に関しては、ロッテにとって、”棚からぼたもち”のようにめぐってきた優勝のチャンスをモノにするための「ラストピース」くらいの気持ちだろうと思います。ここにきて唐川、ハーマン、益田という勝利の方程式が確立されてきたものの、彼らの負担軽減は急務であり、また種市や西野らが離脱している先発ローテーションももう一歩、しかしながら投手陣は若い選手が多く安定しているとは言い難い状況にあります。澤村は、即戦力として、そんなロッテ投手陣に刺激を与える存在に十分なりうるという、首脳陣の期待や確信があったのでしょう。いくらなんでもここまで伸び伸びと投げるとは思っていなかったでしょうが。そしてそこで澤村が、野手における鳥谷のように、初心に帰って若手に負けじと泥にまみれる姿を見せれば、この若いチームを一気に押し上げることができる、という可能性も感じられます。

さらに、現在ロッテで試合に出ているほぼ全員が、投手・野手とも「優勝未経験者」です。いわば”強いチーム”としての経験値が乏しいのが、素人目に見てもわかる弱点であり、そこを補強する意味合いも大きいはずです。「優勝、そして日本一の経験者、さらには侍ジャパンの経験者で、速球に威力があって、まだまだ力が有り余っているユーティリティ投手」、そんなピンポイントでチーム事情に合致する彼が早くも私たちに与える安心感と信頼感から、やはり期待せずにはいられません。

そして何よりも、ロッテ球団の優勝に対する執念を見る思いがして、ファンとしては、香月という有望株を失ったものの、うれしい気持ちが大きいですね。フロント・首脳陣の今季にかける本気度というのを選手たち、さらには球界全体にまで高らかに表明するような、そんな狙いがあったでしょう。先日のソフトバンク3連戦では、ローテーションを組み替えてまでエース格の石川歩、美馬をぶつけて見事に3連勝しました。こういったフロント・首脳陣の果敢な行動が、選手たちの結束をいっそう強固にしてくれると思いますね。

 

原監督の親心

 

澤村は”巨人愛”を強調していたので、正直、巨人で引退までやるものと思っていました。これに関しては澤村自身も勇気のいる決断だったと思いますし、巨人とはあまり対戦しないパ・リーグ球団だったために了承したのかなと推測します。またロッテには、移籍組でもある大学の先輩・美馬がいること、球界屈指の吉井ピッチングコーチがいることなども、このトレードにおいてプラス要素であったはずです。そんなロッテとのトレードという点からしても、原、阿部両監督は、巨人から出ても心置きなく野球ができそうだと澤村自身が思えるだろうか、という側面にも配慮したトレードにしてあげた、とも読みとれるでしょう。

両軍の思いがあってね。澤村は私にとっても非常に思い出深い、素晴らしい選手でした。求められたというところが、彼にとって素晴らしいこと。澤村は多分、今まで自分の教え子という立場の中で、一番話した人かもしれないね。笑ったり、時には涙を流したりね。思い出はありますよ。ロッテという球団に行って、飛躍することを願います。(スポーツ報知の記事より引用)

これが、今回のトレードについての原監督のコメントです。このコメントを拝する限りでは、ロッテ側からのアプローチだったと思われます。実際のところ、高年俸でもある澤村は、今シーズン終了後に戦力外通告をされる対象選手にもなりえたはずであり、巨人側としてはそこでフリーでどこかの球団に移られるよりは、まだやれる間に若手の有望株とトレードをしたい、という思惑もあったはずで、そこも合致したのでしょう。「全権監督」と言われている原監督ですから、澤村に接近してくる他球団と、そして自軍のチーム事情等を考慮したうえで、様々な計算のなかでこのトレードとその対応をされたことと思われます。

 

以上に書いてきたことはあくまで、一ファンの推察に過ぎませんが、それだけでブログが書けてしまうようなトレードというのも珍しいでしょう。

また、原監督が澤村に「俺は味方だ」と直接電話で激励をしたこともニュースになっていましたが、これも澤村を気持ちよく送り出すための、原監督らしい配慮ある行動だったと思われます。そして移籍先の井口監督も、澤村はまだまだ上で投げれること、優勝のために澤村が必要であることを明確に強調する、とてもよいコメントをされたと思います。これらの「両軍の思い」がすべて、デビュー戦でのピッチングに表れたのでしょうし、もし澤村の活躍でロッテが優勝してしまうようなことがあれば、球史に残るトレードになるかもしれません。

 

まとめ的な話(余談)

 

ここ何日かの間に、ブログ開設時から考えていた、教育以外の「趣味」に関する記事もそろそろ書いてみようかなと思い始めていました。しかし、『特集』という(私のなかでは重要でかつ壮大な)企画を書き始めてしまったので、この『特集』の連載を終えてから、私のクローゼットたる「UNIQLO」についていくつか書いていこうかなと構想していました。そこで飛び込んできたのが、このたびの「交換トレード」のニュースでありました。

いずれは大好きな「プロ野球」のことも書いてはみたかったので、”この話は今を逃してはもうできないだろう”ということで、予定よりも前倒しで、また予定していたUNIQLOの話題ではないものの、ひとまずここでこのトレードの話を一本やってみよう、といった具合で、この記事を書くに至りました。

今まで「学校教育」について何本か投稿してきたときには、あえて学術用語を使ったり、固い表現や小難しい話題に挑戦したりしましたが、「趣味」について書かせてもらう際には、ラフでフランクな言葉遣いにし、今後も書き分けていければなと思います。

今回は思いつくまま、緩い文章でブログを書いてしまったので、なんだかうまくまとめられなかったのですが、たまにはこのような形で、趣味の話をダラダラと書いてみるのもまた楽しいですね。

 

次回からはまた数回、『特集』の続きをしっかりと書いていきます。ご興味のある方は、ぜひ読んでいただきたいですね。

 

それでは。